スペイン南部、マラガ生まれ。絵の教師で画家の父の薫陶を得て幼年時代から絵の天分を示す。14歳の時、バルセロナに移り、サン・フェルナンド王立美術学校に学ぶが中退。1900年パリ旅行をし、定住を決意、モンマルトルの「洗濯船」に住む。ロートレックや後期印象主義の影響を受け、暗い青を基調に貧しい人々を哀感を込めて描いた「青の時代」に入る。1905年から6年にかけてはサーカスや旅芸人を明るいバラ色を基調に描き、「バラ色の時代」と呼ばれる。1907年《アヴィニョンの娘たち》が完成、アフリカ彫刻を思わせる大胆なデフォルメは近代絵画の新しい方向を示し、対象の解体と再構成に専念してジョルジュ・ブラックとともにキュビズムの運動を展開した。キュビズムはルネッサンス以来の造形革命といわれ、1910年頃からパリ中を席巻する全英運動となるが、さらにこの様式の探求を続け、1921年の《三楽士》で完結を見る。一方、1918年頃からそれとは対照的な新古典主義傾向を推進した。1925年頃からはシュルレアリスムの影響を受け、幻想身豊かな想像力を駆使して形態の自由な変化に没頭する。1930年になり、政治的緊張が高まると、画面は政治的主張や社会的告発が現れ、1937年《ゲルニカ》で頂点を極める。戦後はベラスケス等の過去の名作に基づく壮大なバリエーションを展開。絶え間ない変貌を重ねながら、20世紀美術史そのもののように、様々な造形表現のかの制を追究した。絵画のみならず、彫刻、版画、陶芸においても伝統的方法から飛躍した発想で多くの卓抜な作品を生み、また前衛的な戯曲や詩も残している。