フランス・パリ生まれ。のちの装飾美術学校であるプティット・エコールで学び、エコール・デ・ボザールを受験するも3度失敗して断念、生活のため建築装飾の仕事を続ける。このことが彼のアカデミーに対する生涯の反逆を決定づけた。彫刻家カリエ・ベルーズのアトリエで働いたのち、イタリア旅行でミケランジェロに感動し《青銅時代》を制作。大きな反響を呼び、それに続く諸作品の力強い大胆な創造は、常に激しい論争をひき起こした。1900年までが最も男性的な様式が創造された時期で、政府の公式注文により1880年より着手し、終生制作を続けながら未完に終わった《地獄の門》(《考える人》を含む)をはじめ、《カレーの市民》、《バルザック》などのモニュメントは、近代彫刻の出発点となった。1900年のバリ万国博覧会で世界的な名声を確立。それ以後は、大理石作品や鋭い小品制作のほか、著作や講演に専念する。鋭い観察により、静止した彫刻に動きを与え、石やブロンズに生命を吹き込んだ。現代彫刻の父として与えた影響は計り知れない。また、優れたデッサン、水彩画、版画作品を遺し、重要な芸術論を書いた。パリとムードンの住居、アトリエと残された全作品は政府に遺贈され、現在ロダン美術館として公開されている。