長崎県生まれ。京都市立美術工芸学校彫刻科を経て、東京美術学校彫刻科へ入り、首席で卒業。在学中文展に初入選し以後同展で受賞を重ねる。勇壮な身振りの人体像を得意とし、戦前は軍人の騎馬像なども手掛けた。戦後は宗教的な題材や平和を祈るテーマの像が多く、1955(昭和30)に完成させた「長崎・平和記念像」は5年がかりで制作した。100歳を超えてなお制作を続け、満102歳(享年104歳)で生涯を閉じた。
1915(大正14)文展初入選。1925(大正14)帝国美術院会員。1958(昭和33)文化勲章受章、文化功労者。1974(昭和49)日展名誉会長。