江戸八丁堀に生まれる。少年時代より学問と絵画への情熱あつく、独学で漢学を学び、真壁雲卿に南画を学ぶなど研究に励む。明治20年頃、当時の洋画界の先駆者である小山正太郎の不同社に入門し、洋画家を志す。フランスに留学し、アカデミー・ジュリアンに入学。ラファエル・コラン、ジャン=ポール・ローランスに師事。帰国後は太平洋画会に加入し活躍。太平洋美術学校校長となり多くの逸材を送り出す。画風はアカデミズムの正系を守り、国内洋画界における構想画の第一人者と言われる。洋画では日本および中国の神話伝説や、象徴的ないし習作的人物画、風景ほか、挿絵、書道など諸領域にまたがり精力的な制作を展開した。